137/『久遠の旗』第一巻 第五章 惨劇再び VII
土, 2008-11-08 18:48 / by くんくたとる
VII
東京が再攻撃され、名古屋、横浜が業火に焼き尽くされた。
この結果から考えれば、七月七日から八日にかけて日本南方海上で繰り広げられた伊豆諸島沖海戦は、日米同盟軍側の戦略的敗北であったと言うこともできる。
戦術的には、日米同盟軍は、決して敗北してはいない。この二日間の海戦で、彼らが人民海軍に与えた損害は、次の通りである。
撃沈
正規空母 <白狼山><潼関><鉅鹿><馬陵><官渡>
軽空母 <界橋><陳倉>
軽巡 <玉門>
駆逐艦 <衛一〇四五><衛一〇五八>
大破
正規空母 <柏挙><虎頭><長坂><合肥>
軽空母 <石亭>
重巡 <上海>
軽巡 <桂林>
駆逐艦 <衛一〇五四>
中破
正規空母 <段谷><街亭><赤壁>
戦艦 <超勇>
重巡 <青島>
小破
正規空母 <垓下>
艦載機喪失 約八七〇機
これに対し、日米同盟軍側が被った損害は、次の通りである。
沈没
正規空母 <笠置><大鳳><フォロモサ><ベニントン><シャングリ・ラ>
軽巡 <多摩><ジュノー>
駆逐艦 <巻雲>
大破
正規空母 <飛竜>
駆逐艦 <藤波>
中破
正規空母 <バンカー・ヒル>
軽巡 <サンタ・フェ>
小破
正規空母 <エンタープライズ>
艦載機喪失 約六五〇機
関東地区防空戦闘機 約一五〇機
両軍の損害はともに極めて大きいが、日米同盟軍の方が、わずかばかり浅いと言える。純粋に戦術的には、日米同盟軍側の辛勝と言うべきであろう。
だが、彼らは、日本本土防衛という戦闘目的の達成には失敗した。横須賀、調布、松戸及び柏の各防空戦闘機基地は大打撃を受け、東京、名古屋、横浜への空襲を許すこととなった。
とはいえ、人民海軍が戦略的に勝利したと断言することも、やや難しい。日米の関東地区防空戦力を、完全に削ぎきったわけではなかったからだ。そのことは、横浜大空襲に際して約一八〇機もの邀撃戦闘機を、日米同盟軍が繰り出したことからも明らかであった。
人民空軍第四航空軍司令部にとって、これは小さくない衝撃であった。横浜大空襲では、邀撃戦闘機と高射砲により、彼らは爆撃機と夜間戦闘機を合わせて五三機、撃墜されていた。彼らは、横浜の次は川崎、千葉、大宮などを空襲する計画であったが、日米同盟軍の邀撃戦力の再建という事実を前に、一時見合わせることとせざるを得なくなった。
日米海軍の奮闘むなしく三つの大都市が壊滅した、とも言える。日米海軍の奮闘により三つの大都市の壊滅で食い止めることができた、とも言える。
伊豆諸島沖海戦の結果を総括するなら、そういうことになるであろう。
「北京の空軍総司令部に要請しろ」
趙翔敏は、斉田岳参謀長に命じた。
「ありったけのJu88をこちらに寄越せ、とな。硫黄島で全部夜間戦闘機に改装する。東夷を数で圧倒し、制空権を握るのだ!」
敵には、まだ防空戦力が残っている。
だが、趙翔敏の見るところ、それも風前の灯だ。今回の横浜大空襲でも、確かにこちらは五〇機余りを失ったが、日米の夜間戦闘機も一〇機前後、撃墜している。こちらの補充が早ければ、消耗戦に持ち込んで勝てる。
可能な限り、時間の間隔を作ってはならない。こちらも苦しいが、東夷も苦しいはずだ。より多くの拳打を繰り出せた方が勝つ。
「同志司令官、北京の総司令部からです」
その時、副官が電文綴りを持ってきた。
ほう、と趙翔敏は思った。ひょっとして、空軍総司令官の同志袁王欽大将閣下は、こちらの戦況を読んですでに手を打ってくれたのだろうか。
電文に目を通す。期待は外れた。全く別の用件であった。しかも、趙翔敏には咄嗟には理解できない、奇妙な話であった。
「そろそろ、頃合と言ってよいのじゃありませんか?」
くいと盃を乾かしながら、目の前の端正な顔立ちの男は、言った。
大野伴睦も、盃を傾けた。相変わらずいい酒を出す。この店が空襲にやられなくてよかったと、大野は心の底から思った。銀座は四月の空襲で大きな被害を受けた。この料亭のある一帯が生き延びたのは、まさに僥倖であった。
「一献」
大野は、端正な顔立ちの男に、銚子を差し出した。
「これは恐縮です、先生」
男は、にこりと笑って空になっていた盃を差し出した。
「頃合、とは?」
大野は尋ねた。
「聡明な先生であれば、あるいはすでにお気づきかもしれませんが」
「世辞はいい」
「失礼、では単刀直入に申し上げますが、この戦争を切り上げるべき時が、もう来ているのではないか、ということです」
大野は、自らの盃に残っていた酒を、一気にくいとあおった。
考えないことではなかった。衆議院議員として、政権与党たる自由党の政務調査会長として、そして一人の愛国者として、国家の命運に思いを致さない日はない。国運に思いを致せば、この戦争の行く末を案じずにはいられない。
「国を挙げて戦争をしているときに、滅多なことを言うものじゃない」
しかし、口に出してはそう言った。
この男を試してみよう、と思ったのだ。近衛文麿元総理の懐刀との触れ込みだが、この人物について大野はよく知っているわけではない。国家の大義を語るに値する相手であるか、見極める必要がある。
「大野先生、誤解しないでいただきたい」
涼やかに、彼は言った。
「私は何も、国家の方針に反対しようとしているのではありません。国家の方針を考えようとしているのです」
「主義者とは違う。そう言いたいのかね?」
「主義者たちは空想家です。ですが、私は現実を論じたいのです」
「君のいう現実を、聞かせてもらおうじゃないか」
「感謝いたします。我が国は沖縄と硫黄島を奪われ、東京と名古屋、横浜も昨晩焼き払われた。そして、なおも戦況を打開する術を持っていない。これが、我が国の直面している現実です」
「佐世保を忘れないでもらえるか。開戦と同時に、漢人の原子爆弾に吹き飛ばされたあの街を」
「無論、忘れてはおりません。漢人が、原子爆弾を持っていることも」
「まぁ、使いはせんだろうがね。奴らは、アメリカも原子爆弾を持っていると恐れている。この前、海軍がそう教えてくれたよ」
「その海軍ですが、先日の海戦で、敵艦隊を撃滅できず、自らも大きな損害を被った。硫黄島やグアムの敵爆撃機の基地を叩くなど、夢のまた夢です」
「そのうち、米軍の救援が本格化すれば、硫黄島も奪い返せるのではないかな?」
「アメリカは、欧州情勢に気を取られています。アジア・太平洋に手を回している余裕がない。仮にその余裕がいずれできるとしても、その間に日本の都市が、我が国の都市が、焼かれ続けます」
「だから、この戦争を考え直せ、と言うのか?」
「戦い続ける意味があるのか、と問うべき時が来ていると思うのです」
戦い続ける意味。国家と国民を戦争の惨禍にさらしてもなお、戦い続ける意味。それを、大野も日々考えていた。
「我が国は一体、何を護るために戦っているのでしょうか。何を護るために、多くの国民の生命を危険にさらしてまで、戦い続けなければならないのでしょうか」
「我が国は、西側陣営の一国だ。自由と民主主義を護るために戦っている。違うかね?」
「それはアメリカの正義です。我が国の正義ではない」
端正な顔を紅潮させて彼は言った。
「我が国は、我が国と我が国民を護るために戦っているはずです。ところが、それがいつのまにか、アメリカの正義を護るための戦いに変わってしまっている。その結果、今こうして我が国と我が国民が危殆に瀕しているのです」
「同盟国を悪し様に言うのは、あまり感心せんな」
「ご不興を買うのを覚悟で申し上げます。ですが、どうかお耳を傾けていただきたい。大野先生、国家に真の友人などいはしないのですよ。あるのは国益のみ。アメリカは、我が国を友愛の情ゆえに支援しているのではない。彼らの国益のために我が国が利用できるから支援しているのです」
「それはそうだが」
「彼らの国益にとっての我が国の利用価値。それは何です?有体に言って、弾除けではありませんか。彼らは、欧州の戦争を片付けるための時間稼ぎとして、我が国に漢人の相手を押し付けている。違いますか?」
「待て。順序が逆だ。アメリカは、欧州で戦争が始まる前から、我が国を護るために大漢人民連邦に宣戦を布告している」
「おっしゃることはごもっともです。ですが、欧州で戦争が始まった途端、アメリカはそちらにすっかりのめりこんでしまっているではありませんか。満州に派遣される予定だった一〇個師団を丸々欧州に送ってしまったことなど、そのいい例です」
「いや、しかしだな」
「アメリカは、本気で日本を護ろうなどとは思っていないのです。日本を利用できるだけ利用しようという腹積もりなのですよ。そんなアメリカに義理立てして、律儀に彼らの弾除けになるなど、馬鹿馬鹿しいとは思われませんか」
大野は、咄嗟に言葉を返せなかった。
それが、いつも心のどこかに引っかかっている思いであったからだ。アメリカのための戦争で国土を焼かれるなど、冗談ではない。大日本皇国は、アメリカの属国ではないのだ。
日本は、日本独自の大義と国益のために、この戦争の意義を考え直すべきではないのか。
「日本は、日本独自の判断で、この戦争の引き時を考えるべきです」
読んだのか、と一瞬大野が思ったほどに、端正な顔立ちの男は言った。
「自由と民主主義。そんなアメリカの正義のために、日本の都市が焼かれるなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。我々が何故戦うのか、我々にとってこの戦いで得られるものは何なのか、今一度よく考えるべきです。それが、日本という国に仕える我々の義務はないでしょうか」
「おっしゃることはよくわかったよ」
大野は言って、銚子を自らの盃に傾けようとした。
男は、さっと手を伸ばして銚子を取ると、大野の盃に酒を注いだ。
それを一息に飲み干してから、大野は言った。
「吉田総理と、一度よく話し合ってみるべきかもしれんな」
「お言葉ですが大野先生」
男は、言葉を返した。
「吉田総理は、総理としてお考えになることもあるのかもしれませんが、それを割り引いてもアメリカに近すぎるお方です。総理としてのお立場があるのかもしれませんが、こうした話に耳を傾けられるとは思えません」
「では、どうしろと言うのかね?」
「大野先生、先生は鳩山陸軍大臣や河野幹事長とも御昵懇でいらっしゃる。御二方とも、我が国独自の立場を深く考えられている。まずは、両先生とじっくりとお話をされてはいかがでしょうか」
この男。
大野は、苦笑した。御昵懇も何も、大野は鳩山一郎陸軍大臣の盟友を自負している。河野一郎自由党幹事長とは、ともに鳩山を支える同志の間柄だ。
そして、自由党内で鳩山派と吉田派は、決して上手くいっているわけではない。大野自身はそれほどでもないが、鳩山や河野は吉田総理を毛嫌いしている。
この男は、永田町の現実を、よく知っているようだ。さすがに元新聞記者だけのことはある。それにしても、この男の名前は何だったか。酔いが回ってきて、人の名前が咄嗟に思い出せなくなっている。
ああ、思い出した。
「では、君の勧めにしたがって、鳩山大臣や河野君ともよく話し合ってみることにするよ、尾崎秀実君」
千絵が、怪我をしたらしい。
そのことを仁科保少佐が知ったのは、東京山手空襲から一週間以上が経ってからであった。
以来、しばらくの間、頭に血が上りっぱなしであった。
名古屋もやられた。横浜もやられた。
漢人どもめ、許せん。絶対に許せん。
いつか必ず、その報いを受けさせてやる。漢人の都市という都市を焼き払ってやる。奴らは、日本の都市を三つ焼いた。開戦直後に原爆攻撃を受けた佐世保と沖縄を加えれば、五つになる。ならば、こちらは漢人の都市を五〇、焼いてやる。北京も南京も上海も武漢も重慶も西安も、全て火の海に沈めてやる。
そうした思考から脱したのは、ここ二、三日のことであった。
都市に対する戦略爆撃は、決して悪ではない。
そう保は、結論付けざるを得なかった。
将来的には、悪とされるだろう。だが、少なくとも今次戦争においては、悪ではない。一九四六年七月の時点では、あくまで通常の戦争行為の範疇に納まっている。
保の手元には、軍令部第二部から回ってきた、欧州戦線に関する戦況概報があった。欧州では、五月にソ連と東ドイツが戦争を始めて以来、クリミア半島の基地から出撃した米陸軍航空隊のB29重爆撃機が、ミンスクやヴォルゴグラード、バクーといったソ連の都市に対し大規模な戦略爆撃を行っているらしい。東ドイツの空軍も、オランダのロッテルダムやフランスのストラスブールに対して無差別爆撃を実施している。
今次戦争においては、敵味方の双方が、戦略爆撃という手法を迷うことなく用いている。今次戦争においては、都市無差別爆撃は、あくまで戦争の常識の中に納まっているのだ。
戦争とは、こういうものなのだ。少なくとも、今この時代の戦争は、こういうものなのだ。保は、そう納得するしかなかった。
漢人を悪として非難している暇があるならば、それを阻止する方法を考えるべきだ。頭に血を上らすよりも、頭を冷やして考えるべきだ。
敵の戦略爆撃拠点は、グアムと硫黄島である。このうち、グアムは戦線の遥か奥にあり、手の出しようがない。それに、硫黄島さえ奪い返せれば、グアムに敵が残っていようと、硫黄島で食い止めることができる。したがって、差し当たり考えるべきは、硫黄島の奪還、せめて無力化である。
硫黄島の無力化。方法は?機動部隊を出撃させて空襲する。駄目だ。今日米同盟軍に残されている正規空母は、六隻。<飛竜>と<バンカー・ヒル>はそのうち復帰するだろうが、今は二隻ともドックにいる。今手元にある六隻では、硫黄島を叩ききることはできない。
ハワイの米第三艦隊を投入する。これは、米軍との交渉が必要だ。しかし、難しいだろう。第三艦隊は今、正規空母を五隻しか保有していない。連中は、ハワイ防衛のためにこの戦力を保持し続けるだろう。
陸上機による長距離爆撃。館山の陸攻隊に硫黄島を空襲させる。あるいは、米軍に頼んでB29を派遣してもらう手もある。こちらから硫黄島を空襲するのだ。
いや、それも駄目だ。保は、結論付けざるを得なかった。まず、長距離戦闘機がない。陸軍は論外、五式戦闘機には硫黄島は遠すぎた島だ。海軍の雷電や紫電改でも、硫黄島まで行って帰ってくることができない。烈風ならば可能だが、それでもぎりぎりであるし、陸上配備されている烈風の数は限られている。いっそ、米軍に頼んでP51マスタング戦闘機を出してもらうか。あれならば、硫黄島は悠々作戦行動半径内だ。しかし、一番本質的な問題は、烈風にせよP51にせよ、貴重な戦闘機を、敵地上空での消耗戦に投入することの是非だ。一歩間違えば、こちらの防空戦力をすり減らすだけのことになりかねない。
潜水艦による包囲で補給を締め上げる。飛行機自体は飛んでくることができるが、爆弾やガソリンは船便で輸送せざるを得ない。その船団を、潜水艦で叩くのだ。だが、これはすでにやっている。ある程度の成果も収めている。日米の潜水艦は、硫黄島やグアムに向かう漢人の船団を、それなりに食っている。だが、それでも奴らが現に空襲を敢行してきているのを考えれば、あまり期待できそうにはない。
手詰まりだ。保は、投げ出しそうになった。
投げ出すわけにはいかない。すぐに思い直した。日本の都市が、敵の戦略爆撃にさらされているのだ。戦略爆撃は悪ではないとしても、日本の国土と国民が脅威にさらされていることには変わらない。正義の怒りにとり憑かれるのではなく、敵の軍事的意図を頓挫させるという通常の軍人としての思考に、頭を振り絞らなければならない。
しかし、頭は煮詰まっていた。こんな状態でいくら考えても時間の無駄だ、と思った。
無駄、という言葉が、何かに引っかかった。ああ、そうだ。無駄といえば<武蔵>だ。伊豆諸島沖海戦からの帰りの途中、昌和と<武蔵>が無駄だとか無用だとか不要品とか、そんな話をした記憶があった。
いや、待て。
保の中で、何かが色々とつながった。
いや、いいんじゃないか。それでいいんじゃないか。
保は、自らの思いつきに興奮した。興奮しているということが、自分でわかった。待て待て、落ち着こう。合理的か、この思いつきは。実現可能か。他によりよい手段はないか。
合理性はある。実現は可能。他の手段は、さっき一通り考えて、駄目だと結論付けた。ならば、これしかないじゃないか。これがいいじゃないか。
保は、連合艦隊司令部がいまだに居座っている<狩野>の作戦室に、飛び込んだ。
部屋にいたのは、司令部の半分にも満たない人数であった。今は呉、柱島泊地にいるので、全員戦闘配置というわけではない。しかし、友永中佐と吉田中佐はいた。二人とも、何事かと言いたげな表情で、こちらを見ている。
保は、言った。
「戦艦で硫黄島を叩けませんかね」
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